続・猫殺し作家坂東眞砂子

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2366513/detail?rd

「死から遮断された人々は、死の実感を失ってしまう」
「死の実感は生の実感にも通じている。生と死は、互いの色を際立たせる補色のような関係だ」

と述べている。坂東さんはこのエッセイで、最近の青少年の殺人事件で「人が死ぬのを見たかった」「殺してみたかった」などという言葉を聞くことを挙げ、充実した「生」の実感は「死」への意識が必要だと説いている。さらに、

「現代都市生活では獣の死骸はまず見ない。(略)都市とは。死を排除された空間だ」

と述べる。つまり、現代都市生活では「死」はことごとく隠蔽され、「死」への実感がないからこそ、「生」の充実もないというわけだ。そして、現代都市生活とは「日本」のことである。その理由は産経新聞に連載された坂東さんのエッセイ「タヒチ通信」を紐解いていくとよくわかる。

毎日地雷撤去の作業とかすれば?死のギリギリのラインで楽しめばいいじゃない?
>「現代都市生活では獣の死骸はまず見ない。(略)都市とは。死を排除された空間だ」
獣の死骸なら毎日食ってるだろうが、食肉店でも鮮魚店でもいい。動物を切り刻んで食べてるという実感はないのか?それでも作家か?想像力がないなあ。
第一自分の「生」の実感の為に他の生物の死骸が見たいのかね?そうとも取れるこの文章。
青少年の育成の為には戦乱の世の中が必要ってか?人の為とか書いてるように見せて結局は自己正当化してるだけだろ。格好付けやがって。

00年8月28日に掲載された「南太平洋の楽園にも渋滞それは社会の流れにも似て」のなかで、坂東さんは自宅から70キロ離れたタヒチの中心都市パペエテに行くことの苦痛を述べる。苦痛の理由は、都市生活ではありがちな「渋滞」だ。坂東さんは日本の会社員が「他人と同じことをしないと安心できない」として批判した後、「渋滞」について次のように述べる。

「渋滞に甘んじる心理は、社会の流れに唯々諾々と従う心理に繋がる。(略)渋滞は、人が自由に生きたいと思う欲求を無意識に潰す効果を生み出している」

「精神的にいられなくなってタヒチで暮らすようになった」

ただ待つのが嫌いな堪え性のないガキなんじゃねえの?誰だって渋滞は嫌いだ。考えが中二だな。
「他人と同じことをしないと安心できない」その考え方の人に実際に会ったことある?おれはないね。そうやって仮想の人物を嫌って生きて行けば良い。そうやって自分より下がいると思いこんで生きていけば良い。